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松竹梅と鶴の話 [邦楽]

昨年暮れに松竹梅を演奏しましたが、今年も松竹梅、来年も松竹梅を演奏することになりました。


そこで、松竹梅を改めてお勉強。


大阪で享和年間に活躍した三津橋勾当の作曲とされていて、「梅の名どころ」の文句までは曲付けが出来たが、その先の松の唄からはどうしてもできなかった。そこで箕面の弁天様に参籠して七日目に霊感があり、三を上げて、一下がりの調子にすればよいことが頭に浮かび、それからすらすらと曲が出来たという話が物の本に書いてありました。


曲の構成は、春の梅、夏の松、秋の竹となっています。


昔、仙台の演奏会では春を飛ばして「君が代…」から演奏することがほとんどでした。私は梅の部分が好きなので満足いきませんでしたが、今年の松竹梅は梅松竹と演奏できるので喜んでおります。


さて、長年「松」に「鶴」で巣ごもりの手「尺八ではコロコロ」を吹いていたのですが、ある時、お箏をされている方から「松上の鶴」という曲がありますが「松の木に鶴は留まらないんです」という話を聞いて悩んでしまいました。


確かに山登万和師が作曲された「松上の鶴」は皇居の松と鶴が題材にはなっていますが、松の上に鶴が留まった描写の唄がありません。この曲では鶴の巣ごもりを「千代を寿いで鳴く」ものとして目出度いものとしています。


本当に松に鶴は留まらないのでしょうか。


東北地方では鶴を見かけません。思い浮かぶのは近場でも北海道のタンチョウです。1.6mもあるタンチョウが剪定された松の木に留まれば、枝が折れてしまいます。ボウボウの松なら可能性はないわけではありませんが大きな疑問です。




次の絵は中国の吉祥図案「松鶴長春」です。


鶴.gif

題名が「松鶴長春」なので松と鶴であることは確かだと思います。この鶴、首が黒く、尾が黒いのでタンチョウにも思えますが、羽根の輪郭を描いて灰色にも見えるのでクロヅルのようにも見えます。


kuroduru.jpg


                 クロヅル(写真引用 Wikipedia)


そして、この鶴が止まっているのは松の幹です。図の右側にいる鶴の尾の下の松の枝に二重丸のようなものがあります。これは枝を切った痕でカルス形成(幹や枝の傷突いた部分に盛り上がって発生する細胞集団)されたものを表現しているものと思われます。松の枝の下のほうにもあります。鶴が乗っている部分は松の木の幹です。幹の太さからすれば樹齢50年くらいでしょうか。


松の枝は細く樹齢が50年たっても太さが3㎝程度であり、鶴が枝に留まることはできません。しかし、幹が図のような形で緩やかな傾斜になっていれば、鶴が松の木に留まることは十分考えられます。むしろ、この絵は信憑性があります。


「鶴は松の枝には留まることはできないが松の幹に留まることがある」というのが正しいのではないでしょうか。



タンチョウは江戸時代には三河島村(現在の荒川近郊)に飛来地があったとのこと。


turu 3.png
花札の1月「松に鶴」ですが、これは現在の図柄で、江戸時代中期の図柄は松の手前に鶴がいるという構図だったとか。だとすれば鶴が松の幹に留まっていたのかもしれません。
今年は「梅松竹」にコロコロを入れて存分に吹きたいと思います。


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音律と邦楽について [邦楽]

尺八の師範を許されてから仙台でいろいろな先生と合奏させていただいております。


師範となって間もないころでしたが、新曲の合奏が多くなりました。とりあえず、宮城曲は習い終わっていたのですが、宮城曲以外の新曲がどうも違和感があってうまく吹けませんでした。外曲(古曲)から本曲を吹く時もそうでした。


今思えば、平均律(新曲)純正律(古曲)の違いで、本曲にいたっては律は存在しますが、その音律ではなく音の前後に可変音律(音律にない音)が加わっています。なので違和感があったのでしょう。


こんな分類ですが、古曲、新曲、本曲などの演奏を連続すると当然頭の中の音律バランサーがぐちゃぐちゃになります。リサイタルを何回かしましたが、こんな構成をしたので苦労しました。


演奏会で演奏する時は古曲だけとか、新曲だけとか、本曲だけと決めておかないといけないかもしれません。


永年新曲を演奏されている方は平均律が体に染みついているのではと危惧します。純正律の古曲の演奏ができないのではと危惧します。逆に永年古曲を演奏されていた方は純正律が体に染みついているので新曲が演奏できない。まあ、演奏はできますが、平均律の演奏ではないのではと思っています。


ところで平均律と純正律の違いはオクターブ12音律の決め方です。

平均律は一つの音と隣の音の比率が約1.06となる調律(2の12乗根)です。A5の周波数が880であればA#5の周波数は932.3Hz(932.2÷880=1.05931≒1.06)になります。

純正律は倍音で調律されるので、A4=440 Hz、倍音A5=880Hz 3倍音E6=1320Hzと基音の周波数を加えて調律されます。すれは3倍音5倍音6倍音で発生し、平均律のほうが純正律よりも低くなります。

音域の幅が狭い邦楽では倍音を用いた純正律で事足りていたわけですが、洋楽の世界では楽器の発明などにより音域の幅も広くなり、和音による移調や転調などが可能その典型的な例は和音コード



独断と偏見になりますが、邦楽とは純正律を中心とした音楽であり、平均律を中心とした音楽は邦楽ではないのではないかと思っています。


お箏を弾くから邦楽だとか尺八を吹くから邦楽だというのは誤った認識ではないかと思います。


ちなみに、ジャズやポップスの類は平均律でコードを転調したり移調したりして曲を演奏します。もし、和楽器で演奏できるとすればその方は平均律の方ということになるではないでしょうか。


邦楽の義務教育化で目指すは、純正律の音楽で古典筝曲であったり、地歌、長唄などではないのかなと思うのです。だから、小学校で邦楽の演奏として新曲や流行のポップスを演奏したりするのは和楽器の宣伝にしかならないのではないか。つまり、滅びつつある純正律の音楽を伝えていないのではと思うのです。学校で邦楽の演奏依頼があったら演奏する曲は古典曲でなければならないと考えます。


私の独断ですが宮城曲(宮城道雄先生の曲)までは古曲でそれ以降の曲は新曲という定義をしています。宮城先生の新曲は純正律と平均律的な曲が混じっていると感じるから古曲に分類。そこが分水嶺ではないかと思っています。最も新曲すべてが平均律ではありません。山田流の大先生方が作曲されている曲は純正律の曲が多いようです。平均律での作曲は生田流の先生方に多いように思います。あくまでも傾向ですが。


文科省が示した学習指導要綱では「我が国の伝統音楽の指導の充実を図る」としていますが伝統音楽の定義が明確になっていないないので、和楽器を使う音楽が邦楽との定義になりかねないことを危惧します。






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チューニングピッチの話 [尺八]

先日演奏会の下合わせがあった時の話です。


宮城道雄先生の曲を琴古流と都山流の合同で4曲演奏することになったのです。


今回は都山流の方々は442Hzを基準にされている。


私のピッチについては普段443Hz位で、体の調子がいいときは445Hzくらいに上がり演奏することがあります。


音が合う訳がないのですが、やはりピッチが高いとクレームがつきました。


しょうがないので、次回は低めの楽器を持っていくことにしました。私の管は延べ管なので中抜きしてピッチをさげることができないためです。


井上重美作の管で大凡440Hz位ですが、体の調子が良ければ442Hzくらいになるでしょう。


邦楽のピッチは昔から定まっておりません。管によって違う訳ですから。


もともと琴古流は単管で吹いており、お箏の先生が「音下さい」といわれて、尺八が基音になる音を出し調弦されるので、ピッチはその尺八奏者に合わせていただくわけです。それで合奏成立です。


今回はピッチが442Hzらしく、お箏の方がチューナーを使って皆さん調弦をされているわけです。この時点で私との合奏は不成立なわけです。



オーケストラのチューニングピッチが違う話はよく聞くところです。


ピッチについて440Hz~446Hz位の幅があるらしく、日本や米国では440Hz、ドイツやオーストリアで444Hz、カラヤンが指揮したベルリンフィルが446Hzだったそうです。


私の尺八ピッチについていえばベルリンフィルと共演が可能かもしれません。



















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絶滅危惧種の尺八 [尺八]

 最近尺八愛好者の人口が減っています。私はこのことについて絶滅危惧種という表現を使います。高齢愛好者の自然減以上に若者の愛好者が増えないことや若者の愛好者が途中で離脱するなどいくつかの要因があります。それらにより尺八愛好者人口は減っています。


 それは各団体の名簿を見たり、演奏会のプログラムを見ると一目瞭然です。例年発行される名簿、団体によっては隔年だったりしますが、以前に発行された名簿と比較すると確実に減っています。そして、演奏会プログラムでは例年定期演奏会に出演されていた方が出演されていないことなどで分かります。


 趣味の尺八と職業では当然職業が優先されるので職業が忙しい方の途中離脱はやむをえないのかもしれません。特に遠隔地への転勤などの場合は同門の新しい師匠がいるとは限らないからです。趣味は単独で続けるにはそれ相当の覚悟がなければなりません。しかし、継続する人はわずかです。そうやって尺八人口は減っていきます。


 何しろ「首振り3年、コロ8年」といわれている楽器です。ちなみに「首振り」は「メリ,カリ」や「ユリ」など顎の動きで音を調整する技法で「コロ」は「コロコロ」という主に指を使う技法のことです。一般的に師範の免状を取るのに10年程度かかります。そして、師範になってから演奏会などで演奏活動をします。


 しかし、演奏会は尺八側主催のものであれば舞台にたつのは容易ですが、お筝側主催となれば別で、これはほとんど指名になります。それ故、師範の免状を持っていても出演できない人が出てくるわけです。そういったところに面白みを感じられなくなり尺八から離れる方もいらっしゃるのかもしれません。


 私はそのような要因があろうと尺八人口が減るほかの要因があるのではないかと思っています。


 それは、師範免状まで取った多くの方が、後進を育成していないことではないかと思っています。つまり、お弟子を取って指導していないからだと思っています。もちろん、演奏会に出演して自分の芸を知ってもらわなければお弟子はつきません。


 まずは、自分の芸をお箏の先生に認めてもらうことから始まります。そのためには、自分の芸を磨かなければなりません。そこが大きな分水嶺であるように思っています。

 

 いや、古典本曲の尺八を吹いているからお箏の先生に認められる云々という話は違うのではないかと思われる方もいるかもしれません。


 しかし、尺八だけの演奏会はお箏の演奏会に比べて圧倒的に少ないのです。三曲界で尺八の諸先生方が尺八をここまで発展維持してきたのは三曲(お箏・三絃・尺八)という合奏形態も取ってきたからではないかと思っています。


 尺八の衰退は師範免状という資格取得し、演奏会に出演することで満足されている方が多く、その先の後進育成をするということをされていないのではないでしょうか。


 私は絶滅危惧種の尺八の主因はここにあると思っています。


 弟子を一人育てれば現状維持、弟子を二人以上育てれば発展するわけで、絶滅危惧種からの脱却が可能ではと考えます。


 


 

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HPの修正

今週はHPの修正を行っていました。


本来ならリニューアルしたいのですが、そこまでの気力がありません。


わたしのHPは21年前に無料のソフトをかき集めて作ったもので、その後、ホームページビルダーやほかのエディタなど使って更新してあるため、字の大きさやフォントが微妙に違っています。


また、WIN95、WIN98、Me、XP、WIN7、WIN10とOSが目まぐるしく変わり機材が対応しなくなって困っています。


何しろ昔使えたはずのソフトが対応しなくなるのです。

今回は3年前に購入したホームページビルダーでちまちまと修正しました。

まだ、大昔のファイルも生きています。


サーバーがセキュリテイの関係でCGIを使えなくしたりしているので、いつの間にか□[×]表示になっていました。パソコンが本業ならすぐに直さなければなりませんが、本業でないので、□[×]を削除する作業でとりあえず修正するわけです。なので、HPもだんだん縮小してくるわけです。


昨年造園業を始めたのでこちらの広告用HPを有料サーバーを借りて作ろうと思っています。WordPressにすれば少しは作成や更新が楽になるかもしれません。




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