SSブログ

家元制度というシステムの理解 [邦楽]

日本の伝統的な芸能、芸道におけるその流儀の伝承者やその家系を維持するために家元制度というシステムが出来上がった。


身近なものとして茶道や邦楽、日本舞踊などで「家元」の言葉を見かけることができる。


「家元」制度を理解する上では「任侠映画」が参考になる。


任侠映画は「義理・人情」を主題とし暴力的な内容で表現しているものが多いが、その中で組織論が時々顔を出す。


チンピラが男気「義理、人情、力」に惚れて子分にしてくださいと懇願する場面がある。


「親分のためなら何でもします。この命を好きなように使ってください」という内容で杯を交わして「親子杯」で契約をする。


ここで「義理の親子関係」が成立し小さな組が誕生する。


最初は少なかった子分もやがて増えてくる。そして、子分も修行する中で「義理、人情、力」が身につき、子分が親になり子分を持ち、大きな組織に発展していく。


親分は子分の面倒を見、子は親のために働くという図式で組織が営まれる。


一般的な流れは「親分子分」の関係から「組」を組織し、やがて「組織」が小さな組を吸収しさらに大きな連合組織を形成することもある。もちろん、任侠道のしきたりを守らないような行儀の悪い組は潰していく。


家元システムというのは芸能、芸道における流儀伝承のためのシステムである。


邦楽における尺八が絶滅危惧種になりつつあるのは、流儀伝承システムである家元システムがなくなりつつあることをも意味している。それは、任侠道の「親分子分」の関係を理解していない名ばかりの「師匠、弟子」の関係がふえたからではないかと怪しんでいる。


任侠道の「代紋」と家元制度の「看板」は似たようなもので、それは権威の象徴なのだが、「代紋」や「看板」だけを欲しがる子分や弟子がいるのも事実。「代紋」や「看板」はその組織を大きくし「親=流儀」を伝承する象徴であることを忘れているからかもしれない。


いずれにせよ、家元制度の技能、芸道をするものにとって任侠映画は流儀伝承のための組織維持、しきたり(ルール)を理解する上では参考となる。





現代任侠史 [DVD]

現代任侠史 [DVD]

  • 出版社/メーカー: TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D)
  • 発売日: 2015/11/11
  • メディア: DVD
任侠外伝 玄海灘 [DVD]

任侠外伝 玄海灘 [DVD]

  • 出版社/メーカー: キングレコード
  • 発売日: 2019/02/13
  • メディア: DVD
日本統一29 [DVD]

日本統一29 [DVD]

  • 出版社/メーカー: 株式会社オールイン エンタテインメント
  • 発売日: 2018/07/25
  • メディア: DVD

nice!(0) 

松竹梅と鶴の話 [邦楽]

昨年暮れに松竹梅を演奏しましたが、今年も松竹梅、来年も松竹梅を演奏することになりました。


そこで、松竹梅を改めてお勉強。


大阪で享和年間に活躍した三津橋勾当の作曲とされていて、「梅の名どころ」の文句までは曲付けが出来たが、その先の松の唄からはどうしてもできなかった。そこで箕面の弁天様に参籠して七日目に霊感があり、三を上げて、一下がりの調子にすればよいことが頭に浮かび、それからすらすらと曲が出来たという話が物の本に書いてありました。


曲の構成は、春の梅、夏の松、秋の竹となっています。


昔、仙台の演奏会では春を飛ばして「君が代…」から演奏することがほとんどでした。私は梅の部分が好きなので満足いきませんでしたが、今年の松竹梅は梅松竹と演奏できるので喜んでおります。


さて、長年「松」に「鶴」で巣ごもりの手「尺八ではコロコロ」を吹いていたのですが、ある時、お箏をされている方から「松上の鶴」という曲がありますが「松の木に鶴は留まらないんです」という話を聞いて悩んでしまいました。


確かに山登万和師が作曲された「松上の鶴」は皇居の松と鶴が題材にはなっていますが、松の上に鶴が留まった描写の唄がありません。この曲では鶴の巣ごもりを「千代を寿いで鳴く」ものとして目出度いものとしています。


本当に松に鶴は留まらないのでしょうか。


東北地方では鶴を見かけません。思い浮かぶのは近場でも北海道のタンチョウです。1.6mもあるタンチョウが剪定された松の木に留まれば、枝が折れてしまいます。ボウボウの松なら可能性はないわけではありませんが大きな疑問です。




次の絵は中国の吉祥図案「松鶴長春」です。


鶴.gif

題名が「松鶴長春」なので松と鶴であることは確かだと思います。この鶴、首が黒く、尾が黒いのでタンチョウにも思えますが、羽根の輪郭を描いて灰色にも見えるのでクロヅルのようにも見えます。


kuroduru.jpg


                 クロヅル(写真引用 Wikipedia)


そして、この鶴が止まっているのは松の幹です。図の右側にいる鶴の尾の下の松の枝に二重丸のようなものがあります。これは枝を切った痕でカルス形成(幹や枝の傷突いた部分に盛り上がって発生する細胞集団)されたものを表現しているものと思われます。松の枝の下のほうにもあります。鶴が乗っている部分は松の木の幹です。幹の太さからすれば樹齢50年くらいでしょうか。


松の枝は細く樹齢が50年たっても太さが3㎝程度であり、鶴が枝に留まることはできません。しかし、幹が図のような形で緩やかな傾斜になっていれば、鶴が松の木に留まることは十分考えられます。むしろ、この絵は信憑性があります。


「鶴は松の枝には留まることはできないが松の幹に留まることがある」というのが正しいのではないでしょうか。



タンチョウは江戸時代には三河島村(現在の荒川近郊)に飛来地があったとのこと。


turu 3.png
花札の1月「松に鶴」ですが、これは現在の図柄で、江戸時代中期の図柄は松の手前に鶴がいるという構図だったとか。だとすれば鶴が松の幹に留まっていたのかもしれません。
今年は「梅松竹」にコロコロを入れて存分に吹きたいと思います。


nice!(0) 

音律と邦楽について [邦楽]

尺八の師範を許されてから仙台でいろいろな先生と合奏させていただいております。


師範となって間もないころでしたが、新曲の合奏が多くなりました。とりあえず、宮城曲は習い終わっていたのですが、宮城曲以外の新曲がどうも違和感があってうまく吹けませんでした。外曲(古曲)から本曲を吹く時もそうでした。


今思えば、平均律(新曲)純正律(古曲)の違いで、本曲にいたっては律は存在しますが、その音律ではなく音の前後に可変音律(音律にない音)が加わっています。なので違和感があったのでしょう。


こんな分類ですが、古曲、新曲、本曲などの演奏を連続すると当然頭の中の音律バランサーがぐちゃぐちゃになります。リサイタルを何回かしましたが、こんな構成をしたので苦労しました。


演奏会で演奏する時は古曲だけとか、新曲だけとか、本曲だけと決めておかないといけないかもしれません。


永年新曲を演奏されている方は平均律が体に染みついているのではと危惧します。純正律の古曲の演奏ができないのではと危惧します。逆に永年古曲を演奏されていた方は純正律が体に染みついているので新曲が演奏できない。まあ、演奏はできますが、平均律の演奏ではないのではと思っています。


ところで平均律と純正律の違いはオクターブ12音律の決め方です。

平均律は一つの音と隣の音の比率が約1.06となる調律(2の12乗根)です。A5の周波数が880であればA#5の周波数は932.3Hz(932.2÷880=1.05931≒1.06)になります。

純正律は倍音で調律されるので、A4=440 Hz、倍音A5=880Hz 3倍音E6=1320Hzと基音の周波数を加えて調律されます。すれは3倍音5倍音6倍音で発生し、平均律のほうが純正律よりも低くなります。

音域の幅が狭い邦楽では倍音を用いた純正律で事足りていたわけですが、洋楽の世界では楽器の発明などにより音域の幅も広くなり、和音による移調や転調などが可能その典型的な例は和音コード



独断と偏見になりますが、邦楽とは純正律を中心とした音楽であり、平均律を中心とした音楽は邦楽ではないのではないかと思っています。


お箏を弾くから邦楽だとか尺八を吹くから邦楽だというのは誤った認識ではないかと思います。


ちなみに、ジャズやポップスの類は平均律でコードを転調したり移調したりして曲を演奏します。もし、和楽器で演奏できるとすればその方は平均律の方ということになるではないでしょうか。


邦楽の義務教育化で目指すは、純正律の音楽で古典筝曲であったり、地歌、長唄などではないのかなと思うのです。だから、小学校で邦楽の演奏として新曲や流行のポップスを演奏したりするのは和楽器の宣伝にしかならないのではないか。つまり、滅びつつある純正律の音楽を伝えていないのではと思うのです。学校で邦楽の演奏依頼があったら演奏する曲は古典曲でなければならないと考えます。


私の独断ですが宮城曲(宮城道雄先生の曲)までは古曲でそれ以降の曲は新曲という定義をしています。宮城先生の新曲は純正律と平均律的な曲が混じっていると感じるから古曲に分類。そこが分水嶺ではないかと思っています。最も新曲すべてが平均律ではありません。山田流の大先生方が作曲されている曲は純正律の曲が多いようです。平均律での作曲は生田流の先生方に多いように思います。あくまでも傾向ですが。


文科省が示した学習指導要綱では「我が国の伝統音楽の指導の充実を図る」としていますが伝統音楽の定義が明確になっていないないので、和楽器を使う音楽が邦楽との定義になりかねないことを危惧します。






nice!(0) 

高温多湿と日本の文化 [邦楽]

世の中、いつになく気温が高く、熱中症の話題ばかり聞こえています。

さて、今熱い日本。昔だって暑かったのではと考えるところです。


熱いから庭に樹木を植える。

すると、樹木の葉っぱから蒸散で水分が放出され、気化熱を奪ってゆく。すると家に植えてある樹木周辺の気温が下がる。そして、昔の人は自分で樹木を剪定したり、手に負えなければ植木職人を頼んで樹木の枝や葉っぱを透かし、より効率よく樹木の蒸散が起きるよう工夫していたようです。さらに熱くなれば打ち水もして気温を下げていました。


それが現代社会では全く怠っているのではと思われます。

第一、生活空間に緑が少ない。マンションなんかベランダは避難通路になるから植木を置いてはいけない。置いてあったとしてもプランターに花を植えている程度で外から見えないようにしている。必然的に室温を下げるためにエアコンを使う。そのエアコンの熱は住民の見えないところで放出されている。その結果、そういったビルがたくさんあればヒートアイランド現象につながる。いわば、高層マンションなどは巨大な発熱体になっているといって過言ではありません。街路樹があっても予算の都合で剪定もせずにぼうぼうになっているのが目につきます。樹木があるだけましですが、手入れをしないから枯れていきます。小さな公園しかり。


江戸と東京の違いは人口の集中と建物の高層化でしょう。これを解決できれば、ヒートアイランド現象は解消され、熱中症はグーンと少なくなるはずです。江戸時代の記録に熱中症なんてなかったはずです。


日本文化はそもそも高温多湿という過酷な生活環境の中で生きるために工夫されたシステムではないかと思っています。


茶道は「わびさび」だとか言われていますが、それは観念的な部分であって高温多湿の生活から逃避できる究極の環境なのではなかったのかと怪しんでいます。


華道では生花を活けるわけですが、そこに自然的な美を形作ることにより清涼感を感じていたのではないでしょうか。


音楽も高温多湿を忘れさせるものが題材となっています。四季を題材としたものが多いようです。


日本の風土にコニファーを使った庭園は似合わないし、高層ビルなんて風土に似合わないのではと思うところです。吉野ヶ里遺跡や三内丸山遺跡の復元された建造物でも自然な樹木の高さ以下ではありませんか。


まあ、あっちこっちに話は飛びましたが、日本文化の潜流は高温多湿の風土に根差したものではないかというのが私の意見です。


邦楽とは日本風土に適合した生活様式に受け入れられるものであって、それ以外は淘汰されてしまうのではないかと思います。


逆に、日本人が高温多湿という風土を文明の利器で解決することを続けば邦楽が淘汰されるでしょう。





nice!(0) 

六段の話 [邦楽]

あけましておめでとうございます。

昨年暮れの宴席である若い方から六段の調べが西洋の音楽を真似たものではないかという話が飛び出しました。直感的に日ユ同祖論的な話はいただけないと否定しました。というのは、この類の話が歴史を調べることを中断させる要因となることがあるからです。川守田英二氏の「日本ヘブル詩歌の研究 」をもとに山根キク女史により「キリストは日本で死んでいる」という本により歪められたことを思い出したからです。

六段西洋説の話も今から約5年前、題名のない音楽会で「箏の名曲はキリシタン音楽」として取り上げられ広まりました。

箏曲「六段」がグレゴリオ聖歌「クレド」に似ているので、「六段」のもとになったのが「クレド」ではなかろうかと話が展開され、純器楽「六段の調べ」が「主題と五つの変奏曲」とでもよぶべき変奏曲の形式となっている。これは「六つのディフェレンシアス」ではないのかというものです。

音源を聴いてみましたが、私には全く別物のように聞こえました。

八橋検校は慶長19年の生まれとされています。日本にキリスト教が伝来したのが1549年なのでグレゴリオ聖歌が伝わった可能性はあります。しかし、禁教令が1612年(慶長17年)及び翌1613年に江戸幕府により発令されており、八橋検校はグレゴリオ聖歌を聴くことができる環境になかったと考えられます。

六段の作曲者といわれる八橋検校は組歌の奏者です。組歌が8拍子8連で一唄、それを六唄として一曲にしているので、六段の調べを6つの段で編成し一曲とする構想で作曲しても不思議ではないと思います。そして組歌の基本拍子8拍子を使って曲を作ったものではないかと考えます。歌がないので基本拍子8拍子をいくつ使って弾くか。数えやすいのは箏の絃13本なので13回。8拍子×13=104拍子。小間拍子の104拍子は大間拍子で52拍子となったものではないでしょうか。

拍子が同じ「六つのディフェレンシアス」だからグレゴリオ聖歌の「クレド」をヒントに六段の調べが作曲されたとするにはあまりにも無理があると思います。

グレゴリオ聖歌はピタゴラス音律で、筝曲も昔は似たような音律だったと思います。順八逆六、順六逆八で調弦できたはずです。私が箏を習っていた時は、5度、3度の和音を使っての調弦だったので、純正律による調弦。最近の若手はチューナーを使って平均律で調弦している。こう考えると、題名のない音楽会での演奏がどのような律で調弦されたかわかりません。或いは調弦が合っていなかったから別物に聞こえたのかもしれません。まあ、六段は六段で大切にしたいと思います。

今年は楽典の深みに嵌る予感がしてきました。

nice!(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。