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六段の話 [邦楽]

あけましておめでとうございます。

昨年暮れの宴席である若い方から六段の調べが西洋の音楽を真似たものではないかという話が飛び出しました。直感的に日ユ同祖論的な話はいただけないと否定しました。というのは、この類の話が歴史を調べることを中断させる要因となることがあるからです。川守田英二氏の「日本ヘブル詩歌の研究 」をもとに山根キク女史により「キリストは日本で死んでいる」という本により歪められたことを思い出したからです。

六段西洋説の話も今から約5年前、題名のない音楽会で「箏の名曲はキリシタン音楽」として取り上げられ広まりました。

箏曲「六段」がグレゴリオ聖歌「クレド」に似ているので、「六段」のもとになったのが「クレド」ではなかろうかと話が展開され、純器楽「六段の調べ」が「主題と五つの変奏曲」とでもよぶべき変奏曲の形式となっている。これは「六つのディフェレンシアス」ではないのかというものです。

音源を聴いてみましたが、私には全く別物のように聞こえました。

八橋検校は慶長19年の生まれとされています。日本にキリスト教が伝来したのが1549年なのでグレゴリオ聖歌が伝わった可能性はあります。しかし、禁教令が1612年(慶長17年)及び翌1613年に江戸幕府により発令されており、八橋検校はグレゴリオ聖歌を聴くことができる環境になかったと考えられます。

六段の作曲者といわれる八橋検校は組歌の奏者です。組歌が8拍子8連で一唄、それを六唄として一曲にしているので、六段の調べを6つの段で編成し一曲とする構想で作曲しても不思議ではないと思います。そして組歌の基本拍子8拍子を使って曲を作ったものではないかと考えます。歌がないので基本拍子8拍子をいくつ使って弾くか。数えやすいのは箏の絃13本なので13回。8拍子×13=104拍子。小間拍子の104拍子は大間拍子で52拍子となったものではないでしょうか。

拍子が同じ「六つのディフェレンシアス」だからグレゴリオ聖歌の「クレド」をヒントに六段の調べが作曲されたとするにはあまりにも無理があると思います。

グレゴリオ聖歌はピタゴラス音律で、筝曲も昔は似たような音律だったと思います。順八逆六、順六逆八で調弦できたはずです。私が箏を習っていた時は、5度、3度の和音を使っての調弦だったので、純正律による調弦。最近の若手はチューナーを使って平均律で調弦している。こう考えると、題名のない音楽会での演奏がどのような律で調弦されたかわかりません。或いは調弦が合っていなかったから別物に聞こえたのかもしれません。まあ、六段は六段で大切にしたいと思います。

今年は楽典の深みに嵌る予感がしてきました。

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