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高温多湿と日本の文化 [邦楽]

世の中、いつになく気温が高く、熱中症の話題ばかり聞こえています。

さて、今熱い日本。昔だって暑かったのではと考えるところです。


熱いから庭に樹木を植える。

すると、樹木の葉っぱから蒸散で水分が放出され、気化熱を奪ってゆく。すると家に植えてある樹木周辺の気温が下がる。そして、昔の人は自分で樹木を剪定したり、手に負えなければ植木職人を頼んで樹木の枝や葉っぱを透かし、より効率よく樹木の蒸散が起きるよう工夫していたようです。さらに熱くなれば打ち水もして気温を下げていました。


それが現代社会では全く怠っているのではと思われます。

第一、生活空間に緑が少ない。マンションなんかベランダは避難通路になるから植木を置いてはいけない。置いてあったとしてもプランターに花を植えている程度で外から見えないようにしている。必然的に室温を下げるためにエアコンを使う。そのエアコンの熱は住民の見えないところで放出されている。その結果、そういったビルがたくさんあればヒートアイランド現象につながる。いわば、高層マンションなどは巨大な発熱体になっているといって過言ではありません。街路樹があっても予算の都合で剪定もせずにぼうぼうになっているのが目につきます。樹木があるだけましですが、手入れをしないから枯れていきます。小さな公園しかり。


江戸と東京の違いは人口の集中と建物の高層化でしょう。これを解決できれば、ヒートアイランド現象は解消され、熱中症はグーンと少なくなるはずです。江戸時代の記録に熱中症なんてなかったはずです。


日本文化はそもそも高温多湿という過酷な生活環境の中で生きるために工夫されたシステムではないかと思っています。


茶道は「わびさび」だとか言われていますが、それは観念的な部分であって高温多湿の生活から逃避できる究極の環境なのではなかったのかと怪しんでいます。


華道では生花を活けるわけですが、そこに自然的な美を形作ることにより清涼感を感じていたのではないでしょうか。


音楽も高温多湿を忘れさせるものが題材となっています。四季を題材としたものが多いようです。


日本の風土にコニファーを使った庭園は似合わないし、高層ビルなんて風土に似合わないのではと思うところです。吉野ヶ里遺跡や三内丸山遺跡の復元された建造物でも自然な樹木の高さ以下ではありませんか。


まあ、あっちこっちに話は飛びましたが、日本文化の潜流は高温多湿の風土に根差したものではないかというのが私の意見です。


邦楽とは日本風土に適合した生活様式に受け入れられるものであって、それ以外は淘汰されてしまうのではないかと思います。


逆に、日本人が高温多湿という風土を文明の利器で解決することを続けば邦楽が淘汰されるでしょう。





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