「レ」の話 [尺八]
尺八を吹き始めて47年が過ぎ気が付けば60歳。
先日、生田流の先生の春の勉強会に参加させていただいた。
「西行桜」「四季の柳」「萩の露」「八重衣」「「清水楽」5曲を吹かせていただいた。
何十年ぶりかで楽器と一体となった音を出すことができた。
これまで「レ」の音律が高いと指摘されていた。この「レ」を低く調律し直すと他の音がのびなくなるという弊害があり、一旦は低くしたことがあるがもとに戻した。最近再び、「レ」を低く調整した。
体力があった若いときは力任せに吹いていたから「レ」が抑えられず高かったのだろう。体力が衰えてくるに従って「レ」が標準に近くなり、「レ」の調整が偶然うまくいったのだろう。これまでにない満足を得た。
尺八のジャンルには、本曲と呼ばれる尺八だけの曲、外曲とされる箏・三絃との合奏曲がある。さらに新曲、現代曲と別れる。趣味としての尺八は本曲だけ吹いている訳にもいかず様々なジャンルを吹くことになる。そこでぶつかるのが、音色と音律の課題である。各ジャンルの音律が微妙に異なるのだ。このことを知る者は少ない。
琴古流尺八と都山流尺八という二大流派の違いは恐らく宮城道雄先生の新曲でオーバーラップする部分があるだけで、互いのジャンルは相いれないものとなって発展してきている。それは楽器の音律にも影響を及ぼしている。
恐らく、都山流尺八の奏者が琴古流尺八の本曲や外曲を吹いてもそれは「らしく」吹いたにすぎず、逆に琴古流尺八奏者が新曲、現代曲を吹いても「らしく」しか吹けないと思っている。
恐らく、本曲と外曲にも音律の違いがあるはずだ。古管と呼ばれる楽器は音律ではなく音色にこだわったものに違いない。音律と音色のバランスをどこで妥協するかはポリシーの問題である。
尺八の音律と音色について、これからも悩んでいくのだろう。